高山研Newsletter (No.22,2002年1月)

 

最初に弁解を。先月のNewsletterに続き、今月のNewsletterの更新も遅くなりました。卒論の提出時期と免震構造協会で実施した積層ゴムの試験報告書のまとめ等が重複した結果、ばたばたしていましたので。

そこで、今回のNewsletterは、大学教育あるいは技術者教育と構造設計(者)の関わりについて書いた文章を掲載させていただきます。内容は先月のNewsletterの続きみたいですが、少々表層的で総花的な感もあります。お読みいただいた感想などをお寄せいただければ幸いです。


Introduction

 (社)日本建築構造技術者協会(JSCA)の機関誌structure上で「教育」をテーマにした主集は、1988年4月の「構造家の資質と教育のあり方」だけのようである。その中から、構造家に対するコメントを2つ紹介したい。『規準や法律がなくても設計できるのがプロであると思う。施主の意向を、安全性のグレードについても汲み取って設計に反映するのがプロであると思う。そういった精神や姿勢、そして基本的なルール −構造力学とか材料特性とか図面表現とか− を学びとってもらうことが、大学における教育であると思う。(神田順「工学部建築学科で何を教えるか」)1)』 『構造設計の守備範囲は、構造設計という実践を通してその時代の科学技術、及びその総合化された工学を更に進歩、発展させることであり、構造空間の創造上の役割を担う業といえる。(略)特に建築は、沢山の専門分野があっても建てる建物は一つであるから、技術の統合は不可欠の要素である。ここにも「構造家」の果たすべき役割りが産まれてくる。「構造家」は様々な構築技術のある一部分の専門家であってはならない。現存するありとあらゆる構築技術を統合し、秩序立て、空間化する能力を持つ…専門家でなければならない。(渡辺邦夫「業務範囲の拡大と技術領域の広がりの中で」)1)』

 こういった構造家としての役割を遂行するために大学教育での課題や研究者(科学者)の果たすべき役割について、自省の意味も込めて考えたい。大学の学部教育の目標として、4つのCがあげられる。即ち、Communication(会話、表現、情報収集能力)、Critical thinking(批判的思考力)、Creativity(創造力)、Continuous learning(継続的な学習の能力)。以下では、この4Cのそれぞれに分けて大学の教育・研究と構造家の職能の関わりについて述べることにする。


Communication

 大学には教育と研究の2つの役割がある。教育と研究の両面において、構造設計・構造技術に関して大学と構造家・技術者との交流は盛んであろうか。大学側は積極的に外部からの意見や人材の交流を促進することが必要である。大学の研究設備を利用した新しい技術の開発が行われることは学生にとっても現実の問題に取り組む良い機会であり、教育効果も高い。また、交流により社会との関係を考えない、学問のための学問という概念を成り立たなくさせる効果もあろう。構造家は社会に対しても会話する術を身につける必要がある。阪神淡路大震災以降、建物の性能を明示するという動きがある。建物性能や専門技術を一般市民に分かりやすく伝えることは今後ますます必要ではないか。当然、科学者は第一線の研究成果を論文で発表することも重要であるが、それを一般社会で理解できる言葉で紹介することも社会への貢献である。学問の細分化も問題である。学問を統合して人間が使える知識体系にしていくことが求められているのではないか。

Critical thinking
 現在までの大学教育は、教養科目と専門科目からなり、専門科目では建築計画・設計製図・環境・構造などの専門分野ごとに授業科目が展開されている。構造においては構造力学に始まり、鉄筋コンクリートや鉄骨構造の各種構造まで多くの科目が配置されている。これらは確かに重要な科目であるが、構造=計算・解析という印象を与えている。学生は答え(正解)を安易に求めたがる傾向にある。建築設計は総合であると言われているにもかかわらず、大学教育は専門化・分化してきており、総合化は学生自身に委ねられている。(知識の統合力が必要)

 『工学設計の基本的な性格は、最新技術なるものを超越したものだ。2)』設計プロセスにおける設計判断のミス・失敗などの教訓はよい技術的判断の手本となる。過去に蓄積された理論や成功した技術を適用する際も適用性に関して論理的に思考することが大切ということを過去の失敗に基づいて述べている。最新の構造理論・解析などを学習するだけでなく、失敗例なども含めその根底にある理論や適用範囲、あるいは技術者倫理について知ることはもっと大切である。基本的な科目についてはきちんと理解することは当然としても、専門教育を通して学生の思考過程を形成し、学ぶ方法を知ることが大切ではないか。その結果、重要な判断を下せる人、新しい環境の中を巧みに進んでいける人、急速に変化する現実の中で新しい相互関係を素早く見つけだせる人に育ってくれればと考える。社会との関わりにおいて、工学や技術のバランス感覚、「常識」を涵養することも必要である。


Creativity

 『概念設計で概念が湧き起こるのは、演繹という全面的に論理的な行為というより、創造という論理を越えた行為としてである。概念が着想されたあとで、初めて設計上の着想は合理的な分析にかけられ、よい着想の中から悪いものが取り除かれ、見込みはあるが不完全な図式が修正されて、きちんと機能し信頼できる人工物になると考えられる。2)』これは技術の進歩にかかわらず設計の本質をとらえている。教育により創造性を育むことはできるであろうか? 大学教育で創造性を養うことは非常に困難である。資質と環境が重要である。構造力学などで梁やラーメン骨組の変形状態をイメージすることは力学の理解で重要な要素である。近年、学生のイメージ力、想像力の低下が見受けられる。梁の曲げ変形の講義を行う際には、模型を使って梁の変形を示したりするようになった。これは学生の学習意欲にも左右される問題であろうが、大学入学までの教育システムや入学試験にも問題がないか検証する必要があろう。

 環境という面を免震構造の実用化3)から見てみたい。現在の免震構造は1980年代の初めから研究、開発が行われてきた。実用化に当たっては偏見(ゴムで建物を支持することなどできないなど)を克服し法律・規制をかいくぐる必要があった。何事も新しいものを創る時には、解決すべき技術課題がある。それ以上に法律による規制が設計者の自由を奪っていないか。悪い建物ができないようにする規制ではなく、より良い建物ができるようなものであって欲しい。新しいものを実現する上で、実験による検証は欠かせない。基準法改正により実験による検証が法文から削除された4)。免震の告示では、耐震構造に限りなく近い最低限の免震構造の設計も可能である。免震部材は材料認定を経ないと利用できない。部材認定品だからといって品質が保証される訳ではない。設計者の免震構造への理解はますます重要になってきている。現代社会は常に合理的なシステムを求めており、設計行為も例外とはなりにくい。形式合理性はマックス・ウエーバーによれば、最適な手段がすでに存在しており、人々は単に従えば良く、個人は自分で工夫を凝らす裁量をもっていない。しかし、最適な手段を見つけることは難しく、最適とは最も手に入れやすい手段をみつけて利用することになる。それが、法律となり、ソフトウエアに組み込まれていればなおさらである。このようなシステムの究極は「脱人間化」であり、建築設計では「脱設計者化」となろう。これは設計者不在、無責任体制を招き建築文化の衰退を意味している。設計者には権威主義、官僚主義、商業主義に陥らずに、いかに創造的なもの創りを行うかが求められている4)。


Continuous learning


 構造家には建築技術を統合する能力が求められる。最新の技術・学問的成果について情報を得て、理解することも欠かせない。それらの情報を整理・消化して知識として蓄積することで重要な判断ミスを犯す危険を回避できる。技術者教育では大学で学んだことが建築技術の全てではなく、卒業後も学習の意欲を持ち続けられるような動機づけをする必要がある。


Conclusion

 『「科学」とは、(中略)「使いながら」、「あやまちを認め」、「それを手直ししつつ」、「進歩させる」ものだと思うのだ。5)』この中で科学は技術と読み替え可能であり、本来そういうものであろう。建築設計者の資格制度の問題、教育認定制度などは、画一化したシステムやものを提供する傾向にある。ある制度やシステムができあがると、そのシステムを守るように力が作用するのは組織論の常識である。今後は、多様化した価値・判断・ものさしが求められるのではないだろうか。それが技術の発展や構造家の育成に役立つのではないか。教育には規格品の生産を目指すところがあるが、異端をいかに育てるかも大事な教育ではないか。

 2002年度から実施予定の新学習指導要領をご存じであろうか。義務教育における学習内容を3割削減し、ゆとりある教育を目指すものである。これに関しては中止を求める運動がある6)。これまで文部科学省は学習指導要領に記載している内容以上のことを教えてはいけないとしていたが、新学習指導要領は最低基準であり、それ以上のことをしても良いと突然姿勢を変えた。最低基準が本当の意味での最低基準とならないことは建築基準法の例を見ても明らかである。

 『科学者の多くが、科学の形式的中立性に逃げ込み、知識人としての政治的勇気に欠けているのではないか。それが、一部の御用学者による「政治的」で粗雑な言説を放任し、科学的思考に欠ける政治家や高度に組織された前近代的組織である官僚によって、「政治的」に利用されているのである。7)』(科学・技術と大学のあり方については文献8)参照)今、構造家、研究者が様々な問題に対してきちんと発言することが求められている。JSCAが大学における研究や技術者教育に対してもっと発言をしてもいいのではないか。


引用文献
1)構造家懇談会「structure」No.26,1988.4
2)ヘンリー・ペトロスキー「橋はなぜ落ちたのか 設計の失敗学」朝日選書686,2001
3)多田英之「免震 地震への絶縁状」小学館,1996
4)耐震工学研究会特別シンポジウム「建築基準法の改正を斬る!」講演録,2001.9
5)天野礼子「近代科学とは何たるや.君は、闘っているか」科学,Vol.71,No.4/5,2001
6)上野健爾「2002年新学習指導要領の中止を」科学,Vol.70,No.5,2000
7)飯田哲也「政策決定の現場からみえる「科学」科学,Vol.71,No.6,2001
8)例えば、「大学改革はどこへ向かうのか?」科学,Vol.71,No.10,2001

(平成14年1月23日 高山峯夫記)
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