急に寒くなり、冬が近づいてきた感じです。
研究室では、卒業論文の〆切を間近に控えて部屋の中は熱気(?)で暑くなってきています。
話は変わって、岩波書店が発行している「図書」という雑誌があります。これは他の出版社でも出している出版案内の冊子です。講談社では「本」、東大出版会では「UP」などもそれです。
図書の11月号では、岩波国語辞典(第5版)の出版を記念した特集記事があり、その中の座談会で興味ある内容がありましたので、紹介します。
水谷:「ぜんぜん同感です」というのは、政治家が使って広めたようにいわれていますが、「ぜんぜん」には調べてみますと二系統あるんです。字義からは「全くだ」と言える状態にあること、肯定に使ったって悪いことない。いまわりあいに若い世代が「ぜんぜん」を肯定に使うのは、否定と呼応するというのを知らなくて使っていると思います。二時代前は両方使っていた。
同じような例はたくさんありまして、「さだか」ということばは「さだかでない」、「釈然」も「釈然としない」と使うのが圧倒的に多い。しかし、肯定に使わないかというと、そんなことはないんです。
説明を聞いて腑に落ちたというときに「その話を聞いて釈然とした」というわけですが、それよりも、「あんなこと言ったって釈然としない」というほうが記憶に残るものだから、打ち消しが多く使われる。
小林:なるほど。もともと使い方が二つあったのが、強いイメージの方が勝って、それが正統だと思われる時期がくる。それからまたそれが忘れ去られて........。
水谷:両方使われるようになるわけですね。
(以下、省略) (水谷
静夫氏・国語学)(小林 恭二氏・作家)
そこで、「全然」を手持ちの辞典で調べてみました。
広辞苑(第2版補訂版・1976年)(岩波書店)
(副)(下に否定の語を伴って)全く。まるで。「−−わからない」
新潮国語辞典(新装改訂版・1989年)(新潮社)
(副)(否定を伴って)全く。まるで。「−−分からない」
広辞苑(第4版・1991年)(岩波書店)
[1](名)全くその通りであるさま。すべてにわたるさま。[2](副)@すべての点で。すっかり。「−−君にまかせる」A(下に打消の言い方や否定的意味の語を伴って)全く。まるで。「−−わからない」「−−駄目だ」B(俗な用法として、肯定的にも使う)全く。非常に。「−−同感です」
大辞泉(1995年)(小学館)
[1](形動タリ)余すところのないさま。まったくそうであるさま。「−−たるスパルタ国の属邦にあらずと雖も」<竜渓・経国美談>[2](副)@(あとに打消しの語や否定的な表現を伴って)まるで。少しも。「−−食欲がない」「その話は−−知らない」「スポーツは−−だめです」A残りなく。すっかり。「結婚の問題は−−僕に任せるという愛子の言葉を」<志賀・暗夜行路>B(俗な言い方)非常に。とても。「−−愉快だ」
古い辞典では、肯定的な意味については触れていませんが、10年ほど前の辞典からは肯定的な意味も掲載しているようです。この様に言葉というものは、時代とともに意味も用法も変わるものであることが分かります。
ただ、科学・技術の分野で使われる言葉については勝手に意味や定義を変えることは混乱を招く原因となります。きちんとした論文にするためには、言葉の定義や意味を把握することが非常に大切なことであると言えます。学生諸君もこのことを認識した上で、論文を作成して欲しいものです。ちなみに「認識」とは、ある物事を知り、その本質・意義などを理解することです。
(平成12年11月13日 高山峯夫記)