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平成17年10月3日 田中俊彰氏(田中俊彰建築設計室)

◆建築実務演習(1回目)
 日 時:2005103日(月) 16:3018:00
 会 場:1443教室
 講 師:田中俊彰氏(田中俊彰建築設計室)

◆レクチュアーの概要

大学を卒業してから、設計がしたくて独立をしてもう十数年になる。最初から計画があったわけではなく、誰かに教えてもらったり、会社に勤めたりするのが厭で自分で設計事務所を始めた。

今は数件の仕事が進行中で、スタッフも4名、その中の2名は福岡大学の卒業生。当初独立した時は、仕事のあてがあった訳ではなく、たまたま住宅の設計があり、それが縁で今に続いている。

設計事務所にはいろんなタイプがある。組織設計事務所もあるし、私のところのように小さな設計事務所もある。

今日は、自分が関わってきた仕事の中から比較的新しい作品の写真をもってきた。事務所の仕事内容をご覧頂いて、実務のことを学んで頂ければと思っている。


事務所を初めて最初の設計は住宅で、敷地が800坪で、建物は60坪。どこに建物を建ててもいいような敷地で、クライアントも好きなように造っても良いという好条件の話だった。この住宅を見た人から次の依頼があって、ということでこの仕事から現在に続いている。営業活動は特別にはしていない、仕事の依頼があるのを待っているという状況。


設計というのは面白い仕事だと思っている。それに報酬も得られる。設計では、クライアントがいて、予算(コスト)、敷地の環境、法的規制など様々な条件がある。しかしそれがものを創るときの面白さになる。最近、札幌でも住宅の設計をしたが、いろんな場所で建築をつくる経験ができる、環境が変わるともの作り(断熱性能や窓の造りも含め)も変わるということを学ぶことができた。


住宅は木造、木造+RCRC+鉄骨などの構造で設計をする。コストバランスが大切で、単価も違うしクライアントの要求も様々、素材、形、構法はその都度適したもので設計をしている。住宅の他に病院、オフィスなども手がけている。構法や材料が異なれば、当然空間のスケールや性格も変わる。


インテリア空間で難しいのは、内部に入り込む自然光のコントロールである。照明器具、家具、備品関係なども我々の事務所で計画している。最初のプレゼンテーションの時に家具や備品も一斉に見せて、それをもとに家族構成なども考慮してプランを固めていくようにしている。


◇市内南区の平和にある住宅(RC造)

設計するときには検討用の模型をたくさんつくる。周辺の環境も含めて作成し、配置などを最初に検討する。次に構造の模型に肉付けしていくような手順を踏んでいる。この住宅は高台にあり見晴らしを確保するために面積の約半分をテラスにしている。敷地の斜面にあわせてそれぞれの部屋の床に段差があり、外の見え方も異なる。

この住宅は福岡市の都市景観賞を受賞した。周辺の住宅には塀が巡らされているが、ここでは塀をなくし住宅の表情が道路からわかるようにした。実際にものをつくるときには、素材を決め、細部のディテール等を決めないといけないが、コストにも関わる問題なのでいつも頭を悩ませている。


写真 南区平和の家(福岡市)(建築写真/岡本公二)


◇中央区大手門にあるオフィスビル(S造、4階建ての自社ビル)

オフィスの中央に中庭があり、足下からガラス張りで光を取り込むことができる。社長室は2階にあり中庭をとおして社内を見渡せるようになっており、緊張感のあるオフィスとなっている。


写真 Nビル 大手門(福岡市)(建築写真/岡本公二)


◇佐賀市の整形外科医院(19床、S造+RC造)。

敷地はL型であり、駐車場の中の長い歩道が医院へのアプローチである。

S造では経済的に長いスパンがとれるので、自由なプランが造りやすいが、外壁の耐久性等を考慮し、鉄骨の骨組みの外側にRCで壁と屋根を造った。快適な癒しの空間をつくるために待合室は吹き抜けにし、空気による床暖房を設置した。


写真 K整形外科(佐賀市)(建築写真/岡本公二)


◇京都府の丹後半島付近にある小野小町の記念館。

初めての公共の建築物。松永さんと一緒に公開コンペに応募した。500作品くらいの応募があったが、審査員にいかに作品の良さを理解してもらうかが鍵となる。

木構造が条件だったので、単純な大屋根をかけて、その中に必要な諸室を自由に配置できるような空間構成とした。積雪が1m以上もあり荷重を軽減するため、屋根勾配を急にした。工期の問題や材質のことなどを考慮して、米松を使って大きな屋根架構をつくった。残念ながらこの建物では屋根裏を隠している。これは木材の接合部を固定している金物を隠すため。本当は屋根裏の小屋組は見せたかった。


◇湯布院の美術館

由布岳の麓に離れ形式の温泉旅館 無量塔(むらた)の一施設として、現代美術と音楽をテーマにした展示施設。

通常展示室は自然光(紫外線)を避けるが、個人のコレクションなので、その対策はコントロールができるため、ふんだんに自然光を取り入れた。南側は、エントランスのスロープの通路空間を介して、展示室に柔らかい光を導入するように計画した。

美術館の中で長時間くつろげるように、開口部から外の景色や自然光も取り込めて、長居しても退屈しない空間を目指した。

空間のボリュームをどう設定するのかが難しいが、できるだけ大きな模型を作りながら、スケール感のチェックなどや、照明の納まりなども検討した。昼間の自然光と夜の人工の光で照らしだされるシーンは全く異なる。それを如何に調整するのかが、難しいし、面白いところでもある。


写真 空想の森 アルテジオ(湯布院町)(建築写真/岡本公二)


◇佐賀県嬉野の温泉旅館の建物(入浴施設とラウンジ)

木造建築で金物を使わないで在来構法で造った。木材の強度の問題、人(職人)の技術の問題があるが、できる限り昔ながらの伝統的な工法で新しい空間を作ろうとした建物。地元の大工に施工お願いし、できるだけその場所の技術を活かしてつくろうと考えた。

大規模な木造建築を造ることは法規上できないので、お風呂とラウンジの建物は分離されている。上部は木造の大架構の空間であるが、下部はRC造にした。

設計のときに実際に大架構トラスを構築することができるかどうかを、模型などをつくって大工、構造設計者とともに打ち合わせをした。接合部には直角部分がない、など技術的にむずかしいところを検討しながら、全体の建物の形と大きさを決めていった。木材の樹種によっても強度や耐久性、また価格も異なるが、赤身の部分(耐久性が良い)が多い奈良の吉野杉を使うことに決定、現地に買い付けに行った。この仕事は4年くらいかかった。

施工は大変難しかったが、職人は技術力を十分に発揮した。人の持つ力を感じることができた。現場で設計変更をすることはあまり好ましいことではないが、より良い結果をだすために常に変更をする。

木造の建物は都市では様々な面で難しい。そのため日本のすぐれた木造の技術が失われつつあるのは残念。今までの伝統的な技術で新しい木造空間ができればと思っている。内部の壁は、漆喰で仕上げた。左官工事で大きな壁面を一度に仕上げるのも難しい技術。アプローチの壁は杉の板を型枠に使って、打ち放しコンクリートを仕上げた。型枠は通常型枠大工が造るが、ここでは建物をつくった大工に精度良く造ってもらった。

ラウンジの照明や家具も設計をした。既製品では適したものがなかった。もの造りの喜びを味わえる仕事は面白いと思う。設計者と施工側では話が対立することもある。そんなことはできないと言われることもあるし、やってみよう、挑戦してみようと言ってくれることもある。コミュニケーションが非常に大事で、その一言によって建物が変わってくる。

建物は時間がたつほど良いものになって欲しいし、永く愛されるものになって欲しい。人の手が加わりながら、人が一生懸命造った空間にいるのが心地良いのではないかと思う。

それが建築の一つの魅力ではないかと考えている。


写真 和多屋別荘 心晶(嬉野町)(建築写真/岡本公二)


◆質疑応答:

○住宅の設計で難しい条件というのは?

どれも条件は大変。しかし条件がないと逆にやりにくいという面もある。自分が設計事務所に勤めていたのは数年で、最初の住宅のときは矩計(かなばかり)もまともに描けなかった。

どうしたかというと、大工さんと一緒に考えてつくった。それは時間が有り余っていたから可能だった。施主からも、「設計した家に生活を合わせるから」と言われた。それ以降はそういうことは無く、みんな要求が高い。

最近は、施主側の知識が豊富になっている。建築やインテリアに詳しい。希望をすべて取り入れることは難しいが、どこが重要かをきめることに自分が設計する意味があると思っている。


○どんな大学生活だったか?

恥ずかしい話、大学時代にはコンペにはあまり出したことはない。今の時代の方がコンペなどには出しやすい状況ではないか。最初に応募した中原中也記念館(山口)のコンペでは次点だった、コンペは良い勉強になる。審査員によっても評価が違ってくる。同じ条件でもいろんな答えがあり、正解が一つではないところが面白い。


○いつから建築家になろうと思ったのか?

建築家とは思っていなくて、まだ建築士です。図面を書くのが好きだったので、図面さえ書ければ良いと思っていた。


○建築学科に入ったのは?

設計をしてものが作れるのは面白そうで入った。


○大学時代にしておけば良かったことは?

遊ぶのに一所懸命だったように思う(笑)。

図書館には良く行ったが、海外の情報などを得るために雑誌等をよく見ていた。ビジュアル的に建築写真を見るのが好きだった。特にアメリカの現代建築、1970年代、ポストモダニズムの前後、様式が大きく変わるころの建築を見ていた憶えがある。


○凄いと思った建築、建築家は?

当時、アメリカのハイアットリージェンシーの設計をした建築家でジョンポーツマン、彼はディベロッパーでもあった。卒業時に実際に見に行った。


○設計した建物が何十年後も建っていると怖くないか?

最初の建物から14年くらい経つが、今もメンテナンスに行っている。どこがまずかったとか、大丈夫だったとかを確認している。設計した建物数が増えてきているので、メンテナンスには負担がかからないような設計を常に考えている。

メンテナンスさえすれば、50年でも100年でも建物の耐久性は永くなるのだが、手をかけることをあまりしない。朽ちていくだけで、手を加えない。メンテナンスを上手にすれば、より長く維持できるのではないか。ただ機能性が問題になるので、変更するときに、負担のかからない作り方を最初からする必要がある。


○これからの目標は?

難しい質問ですね。仕事が続くように頑張ろうと思っているが。

私としては、実際にものを造る人(職人)と一緒に考えながら仕事をしたい。こんなものを造りたいけど、それを造る側としてはどうしたら良いかとか、やり取りをしながらものをつくることを考えていきたい。可能であれば現場にも常駐したい。

最近TVでデザイナーや設計者が施工している場面がみられるが、絶対にあり得ないと思う。職人の高度な技術は簡単にはまねできない。

ただ、造る側と設計する側で一緒にもの作りができたらと思っている。


○自分の設計事務所をもったのは?

事務所を設立するにあたって準備などは何も無かった。

独立した理由は、ものをつくるプロセスを楽しみたいと思っているから。自分勝手に仕事をコントロールするためには自分でするしかなかった。結果的に出来上がったものが同じように見えても造るプロセスによって違いがでると思っている。

仕事は組織的にやっている訳ではなくて、自分の考えと共有できる人がいれば、一緒に仕事をしたいと思っている。


○最後に、学生へのアドバイスを?

一所懸命に勉強してください!

設計するためには、たくさんのものをみる、空間体験をする事も大事。評価が高い建物を見ることも必要ですが、見慣れた街角や路地でも気になる空間を見つけ、スケールなどを楽しむとか、材料や仕上げなどいろんなことに興味を持って欲しい。今が一番吸収しやすい時期だと思うし、たくさんの経験をしておくことが、将来きっと役に立つと思っている。


(編集者:高山峯夫)


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